不安

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人は不安に悩まされる、、

不安は確信を失った時にやってくるという


無限への憧れ、、しかし絶望、、、
健康への渇望、、しかし防御できない
今と言う満足、、しかし変化を受け止めざるおえない


ならば死と言う確信を持てば
不安は消えるのか???



時に人は宗教を持っている人は
過度に取り乱さないという、、

ある意味において「死」を覚悟させるのだろう


宗教において「愛」は人間の間には無い
神と人間の間に「愛」がある



何故にそこまで不安に怯える、、、のか

生を受けた瞬間、消滅へとカウントダウンしている


欲望か?!


幾ら足掻いても有限と言う現実は
変えられない、、、

不安になる前に
今を生きたほうがいい、、


嘆くばかりではなく
一歩を踏み出した方がいい


泣くだけ泣いたら、、、
呼吸を整え、、、
消滅が来る日まで
歩き続ける、、、



不安がらなくていい

人は必ず死ぬ



成功だとか失敗だとか
そんなものは一切の無である



副産物に捉われるな、、、
自由であれ

美への自由を確保しているように
生への自由も確保しよう



しかしこの自由が不安を起こすらしい

気まぐれなものだ、、、


最近うつろな眼が街中を歩いている

一見笑っちゃいるけど、、
眼はうつろだ、、、

ツマンナイ、、、



細い叫びが聞こえる、、、

不安と言うものにうんざりしたのか
怯えるでもなく、足掻くでもなく
ただ単に、空ろである、、。

それは瞬間的な渇きであろうが、、
今の日本を表すには十分な目つきだ


不安を起こすものに「知」が有ると言う

知らぬが仏、、

昔本を読破して様々な知識を得たものが
終いには知識に縛られガチガチの堅物になった者がいた



何も知らなかった頃は素直で柔軟性を
持っていた人も、手にしたものが多すぎた
もしくは、副産物にトリツカレタ、、、

今は金だろう、、、
金によって活性化し
金によって滅びる


利便性の影に崩壊が忍び寄る


判っている事ではないか
諦めろ、、、
いつかは崩れる、、、

諦め、、、確信か、、、
身の丈を知るということか

足るを知る、、、


物を手に入れれば入れるほど
不安は巨大化する、、、

その不安が心を乱し
狂人を生み出す、、、、
時の権力者がそうなった時は最悪だ


様々な不安の要素は転がっている、、、
結局それは自分の中にある

孤独は辺鄙な山里にあるもんではなく
街の雑踏の中に有ると言う、、、

不安も然り、、、

自分の手の中にあるものだ、、

孤独が常時いるには苦しいが
たまに会うなら良き友であるように

不安も又然り、、


矛盾と言う生物が織り成す
人間ドラマ、、、

そんなに怯えなくてもいいんじゃない