生きてる場所?!

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コンピューターは人間を支配するのか?

恐らく可能であろう、、、。

その支配は操り人形のように右向け右的な
具体的な支配では無いだろうが、、、
漠然的な意識の世界を、洗脳するには十分過ぎる


昔映画館で映画を観終わった後に一瞬
映画の主人公になったような気持ちを覚えた

それと似たようなもので、、、

脳がその気になり、、貴方をその気にさせる


時間を同時進行的に瞬間を捉えたものが
バーチャルと呼ばれている部分であろう

音楽を聴くのにレコードやCDは不用
遊びをするのに外に行かなくて良い
楽しむのに人と会わなくても良い
人間の脳をコンピューターのメモリー
同等に考えているその意識、、、、
コミュニケーションをとるのに人と
会話を取らなくても良い

そういう時間が普段の生活の中で
日々繰り返し行われて生きている人種と
そういった経験をあまりしていない人種は
大きく価値観や生き方に差が生じてくる

今でも多少は言えるが、、
外国を見た人間と見たことの無い人間では
分かち合えない部分は多分に生じる

経験や見てきた映像、それに伴う意識は
それらによって人間を形成する

他人とのコミュニケーションをコンピューターで
行っている人間にとって、家を出て会いに行くという
行動が果たして理にかなうものなのか??

毎夜、世界の不特定の人間とコミュニケートして
生きている人間にとって、昼間の目の前の世界は
チッポケな世界にならないか?
日本に居ながら日本に暮していない感覚に陥る
もしくは日本に居ながら海外旅行でもしてきたような
感覚が生じるだろう、、、

強いては昼間の世界で国内の連中の話題が
つまらなく感じ、自分は違う、、世界を知っている
「まぁ良いさ、今のこの生活は取りあえずの生活さ」
と、何処に暮しているのか判らないような意識が生じる

それは既に、コンピューターに支配されたともいえるだろう


目の前の現実を直視もしくは、しっかり受け止めず
意識は次の、もしくは別の世界に飛んでいる、、。

甲子園球児が甲子園を夢見て数年間生きる姿にも
垣間見られる、、、。まぁ彼らの場合単純に比較は
出来ないが、意識が球児を支配する点においては同様である


心頭滅却すれば火も又涼し、、、、、、、、、、、

人間は意識で生きている
たとえ日本に居ても意識をフランスに
飛ばせばフランスに生きているようになれる

意識を過去に飛ばして心を閉じれば
何時までも過去に時間に生きられる、、、。

意識とはそういったものである、、、。

その意識が無意識にバーチャル世界に感化され
知らない間に、コンピューターの世界に
引きずり込まれ、今を生きているとしたら
それは既にコンピューターに支配されているとも言える

時簡に支配され、見えない不安に支配され
飽くなき欲求に支配され、シガラミに支配され
人々は生きている、、、、、、

逃れられない現実だろう
自由のジレンマと呼ぶべきだろうか?

使う側が使われる、、、

人は好き勝手にはなれないだろう、、
フリーダムにはなれないだろう、、、

日本語の自由自在はフリーダムとは違う気がする
自分のこだわる理由があって、自分がそこに在る
それが日本語の自由自在であろう、、、。

それは思いっきりこだわりを持ってガチコチである

本来フリーダムは、風に流される雲の如くだろう
形も大きさも流されるままに、受け止めこだわりを持たない
右だと言われりゃ右向いて、左と言われりゃ左を見て
それでも何も感じず考えず、そのままをそのままとして
受け止めひょうひょうと生きる、、。それがフリーダム。

自我意識を持つ人間には非常に困難なものである。

親が殺されても、彼氏を取られても、彼女が自分を騙しても
何も感じず、怒りもせず、悲しまず、、淡々と生きる
それが本来のフリーダムである。

出来る事じゃない、、、、。

それだけ意識と言うものは、人間を突き動かす

これだけコンピューターが生活に入り込めば
既に貴方はコンピューターに支配されて生きている
現実なのかバーチャルなのか、今なのか将来なのか
今貴方は、、、何処に生きている、、、!