こんなもんか!?

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ワークシェアリングの記事が載っていた

案としては賛成も出来るが、自分が行う立場なら嫌だという
回答が多かった。

不況下の中、多くの矛盾や問題を抱えた労働者階級の
社会的システムの問題、、、

日雇い禁止を叫んでも、法のめをくぐる奴はなくならない
それを良しとするニーズがある。

不当解雇を訴えても結局は弱者は負ける。

自分だけ良ければ良いのか?!と
怒りの言葉を吐き出したところで、、、
終いに自分に跳ね返ってくる矛盾。

詰まる所人間は勝手な生き物だ!
ご都合主義の塊りのようなものである。
己が生き残る為に他人を潰す。
それを自然の摂理と呼ぶ。

多くの日本人が陥った他人事の意識、、

矛盾の間に立てば、両方気持はわかる
いざ自分が表に立てば、反する物を否定に走る

車に乗ればバイクが邪魔だしバイクに乗れば車が邪魔!

それが人間と言うものだろう、、、

ワークシェアリングも第三社として意見を述べれば、賛成だが
自分が分け与えるとなると、それは困る!
正直な回答だろう、、、。


押し過ぎれば虚無の美が現れ、容認すれば堕ちるに堕ちる
厄介な生きもんだ!

それでも守れという!
それでも権利と言う!

自立心も自律心も無い勝手な生き物を本当に
守る意味は有るのか????????
多くの古人は悩み考えてきた。

自己中を嫌いながら自己中の権利を叫び
可愛そうと涙を見せながら足元では自分の
取り分を確保、、、。

右手に聖書を持ち左手に銃を持つ!

人間の本質である!

強制を批判してきた弱者共よ
その権利を得た今、自らの責任が問われている!

責任が取れない権利は発生しない!

自由と管理は矛盾ではなく
その両方を持って始めて意味をなす!

日本はそれを目指して来たのではなかったか?

共産民主主義、、、

世界から訳が判らぬ、中途半端だ、と揶揄されてきて
自分を見失い始めた今、、、
管理と自由のバランスが如何に大事かを世界へうったえれば良い。

管理だけでも自由すぎても人間は生きていけないものである。

頼る生き方しか出来ない人種もいる
頼られる事が嫌な人種もいる
出来る人間も居れば、できない人間もいる
早い人間もいれば遅い人間もいる
黒も白も黄色もいる

それらを一色単にしようとすれば続かない
違う物は違うのである
一緒になれないものは成れないのである
それは差別とは違う

稼いだ奴が稼がない奴の面倒を見るとき
施しを受ければ、較差が生じる
しかし両者に対等の契約があれば対等関係になる

福祉や教育は国家問題である
経済活動とは別問題であり自由経済
枠組みから一線を引く必要性がある

街のファシリティーを使う時納税額が多い者が
優先されるのは差別ではない

親の資産は親のもんであり子のもんではない
相続税などと間接的なやり方ではなくもっと
協力的な管理を行えばいい
しかし住まいや教育、福祉などは収入とは別に
国家が補償すべきであろう。

世帯主が家族の生活を保障するように
企業が社員の収入をある程度保障するように
国家は国民の生まれくる場所、生きる場所、教育を受ける場所
死に行く場所等を保障すべきであり、それらの予算は国民全員が
責任を負うべきである。

一時給付金問題もそうであるが、現金では自由すぎる
何ら管理されていない、、。他に目的が有るのならば別だが
単純に給付金としてだけを捉えると、商品券で十分である。
景気対策大義名分をうつのならば、商品券だろう。
使用の有無は個人の自由だが、消費へ回すと言う管理を行うべき。
現金は消費へ回す確立がぐっと減り、消費効果は見込めない。
未使用の商品券は期限付きで無効とし、あまった予算は他の政策へ
補助予算としても使用可能である。

勿論商品券でも様々な問題が生じるだろう
お年寄りの一人暮らし、寝たきりの一人暮らし
使用したくても出来ない環境の人には不公平性が生じる
それだけでは無いが、多くの矛盾を抱え込む。
しかし今回は消費への結びつきを最優先するならば現金ではない

同時に現金配給を単順に愚弄する奴もいるが
それはいかがなものか、、
そんな単純な問題でもなかろう、、。


多くの矛盾を抱え込み前向きに人間を生かすには
先ずはベクトルを単純一本化にするのが簡単だ!
戦争、自然災害、それらの外的要因によって行う。

それが嫌ならば、キチンと説明し理解を得られるよう
説明し続けるのが政治家の義務の一つだろう。
人間は記憶を持ち、考えられる生き物である。
たとえそれらが愚直な生き物だとしても、、、、。