デジタル、アナログ、融合?

イメージ 1

最近ネット社会を現実社会と別な世界と見る見解が多く出ている。

ネット社会が全てバーチャル的な世界で、現実ではない、、。
そのネット社会に没頭している人間を、現実世界に意識が
働かず、何か漠然とした危険性があるかのような見解、、。

それらの見解に疑問が残る。

何故ネット社会はバーチャルなのか?
何故ネット社会を現実社会と区別するのか?

ネット社会も現実であって、立派なリアルワールドだろう、、。

特に、コミュニケーションに関しては
面談による会話、手紙による会話、電話による会話
そしてネットによる会話、、。
ただそれだけのことだろう、、、。

ネットによるコミュニケーションが、人間に影響を与える
何かは存在するだろう。

それは、手紙だろうが、電話だろうが、同じこと。

デジタルイコール機械。強いては人間的ではない。
この様な心理が働き掛けているのだろうが、。
だからと言って、それが現実社会ではないという
くくり方は危険だ。

ネット文化は現実である。

ネットによる会話も人間関係も社会も現実である。

ネット社会のあり方は、他の社会とは違う分も含んでいるだろう。

ならば、田舎の小さな社会と都会で作られている社会は同じか?
欧米社会と日本の社会の有り方は、同じだろうか?

人間が作り出す、繋がり、、つまりは社会は
様々な環境があり、環境等によって様々な存在がある。
ネット社会が現実と異なる、仮想世界だという認識は違う。

コンピューターによる人間社会の繋がり方に変化が生じて
来ている事は、確かに感じる。

年齢、肩書き、性別、、、そういったものにはこだわらない。
それは、その人間が初めから気にならない、こだわらないと言う事が
最初にありきではなく、ネットの社会では面談が出来ない故に
それらの情報は不確実で、環境的にこだわっていたら何も出来ない
と言う流れから、今ではいかにもそれらに無頓着な人間が作り出された
かのように騒いでいるだけ。

ネット社会に興味を持って生きている、デジタルネイティブ?の
人たちが実際に行っている行動の一つに、情報の透明化がある。
つまりは、不確実な情報が流れる中で、信用に値する情報を求める。
それは、性別、年齢、肩書き、、等と言うものに無頓着では無いと言う
証拠である。

ネットの社会で友を求め、パートナーを求め、情報を求め
結局は繋がりを懸命に求めている。
それは非常に人間くさい。

所詮人間であり、社会を求める。
人間が繋がりを求め、数が集まれば其処に社会が
創造される。つまりは従来の流れそのものであり
それがあたかも、現実ではないかの様な言い方は
少しずれている。

ネット社会による関係は全て現実である。
当然其処にはメリットデメリットが共存し
貴方にとっての不都合は私にとって利益と化す
可能性を多く含んでいる。

いずれにしても、ネット社会の速さと広さと
情報量に人間が追いついていけないのは
確かだろう、、、。

必ず人間のコントロールが利かない状況は来る。