闇の子供達

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新宿の映画館で上映されている「闇の子供達」
結構話題になっているそうだが、、

人間社会の闇の部分をシリアスに描いた作品
舞台になったタイ、バンコクでは上映禁止!

観光業に影響が大きく、闇の部分は振れられたくない
と言うのが本音だろうが、、、。

以前子供の売買に関しては、スリランカも世界一だった

欧米人は何故か、子供達を好む者が多い
日本も年々純粋さを好むゆえに、性の対象が若くなって
来ているような気がする、、、。

光と闇は切り離せない
闇を消し去る事も出来ない。
悲しい現実である。

人間が生きて人間が群れをなし
人間が欲望を持つ以上、多くの問題が発生する。


対象が子供だろうが、大人だろうが、、
売春、人身売買は賛否を分ける問題だろう。

人間社会が出来て、世界で始めて生まれた商売が
売春とされている中、人間が生きていく上で必要不可欠な
ものなのかもしれない、、、。


そんな中でも、自分の意思を持って、自分の判断で
売春に走る大人と、外的要因によって半ば強制的に
その様な状況に追い込まれる子供達では、商売の形態ではなく
子供達が生きていくための環境問題が、問われる点であるべき。

人間の闇を問う映画や本は、沢山出ている。
その都度話題になり、色々な物議を呼ぶが、、、
問題は、殺人や売春、窃盗、麻薬、、、
それらの行為そのものよりも、それらが行われる
環境を分析すべきだし、生きていくための手段である
一面を、どう判断するのか、、
人間としての道徳観念が、議論されるべき。

結論は一つに出来ない。

経済成長の過程も、文化レベルも、教育レベルも
国によって大きく環境が変化する。

違う環境の中では、同一の道徳観念は生まれない。

戦渦の中では殺人も容認される。
飢餓の中では窃盗も容認される。

しかし現実を全て容認していたら、その先はない。

ここ数十年日本にはびこった「仕方ないさ、、」に
代表されるように、大きな現実の壁に、動きを止めると
その先は無い。

たとえ自分達の時代には結果が出なくても
たとえ周囲の人達に一時的に誤解を受けようが
考える事を維持し、出来る事を維持実行し
感謝されなくても、大志を失わず歩き続ける。

信念を持って、歩き続ける事。

非常にエネルギーを要する。
信念は意固地に結びつく。

此処にも人間の闇がまとわりつく。

知を得ると人間は知に溺れる。

ガラスの橋を渡っているかのように
人間の行動には常に、裏腹の現実が現れる。

ポイントは考える事、考え続ける事。

そしてその考え方は、脳と身体を使う事。
一方の知識や一方の知恵では、バランスを失う。

人間は動物の一種でもある。

知識や倫理だけでは生きていない。

頭で理解できても心が許さない事が多くある。

野生の感覚を失ってもいけない。
知恵と言う知能も失ってはいけない。

未来を読める動物が人間だ。
事が起きる前に、備えが出来る。
結果はどうなるか解らないが
少なくても、先々に向って布石を打てるのが
人間の特徴でもある。

目の前の大きな現実の壁は
我々人間の創造物であるが故に
我々人間が片付けなければいけない。

いつも思うが、、
いかに一人一人の普段の人生が大きく
社会に影響を与えているか、痛感する。

何気ない言動が、社会や国や、地域や
会社を組織付けているとは、普段意識しないだろう。

貴方の小さなため息は、大きなうねりとなって
社会に影響を与えている。

貴方の小さな幸せが、多くの社会に影響を与えている。

喩えそれが見えなくても、考えて欲しい。

たとえそれが聞こえなくても耳をすましてみて欲しい。

光が見えるだろう、闇が見えるだろう
光の音が聞こえるだろう、闇の音が聞こえるだろう。

人間とは、そういった生き物である。