正義のチクリ

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チクッタ正義は、はじかれる!

日本の社会は本当に面白い。
大勢に含まれていれば、守られる。

昔から寄らば大樹の思考がはびこる理由だ。

官民含め企業や団体の不正と戦う個人は
それが例え正しい主張や行動でも
枠組みから外れると、社会がシカトをきめてくる。

論点の正否よりも、チクルと言う行為や
従来の慣習を崩すという行為そのものが否定される。

海外では正否が問われる。
現実の難しさ、矛盾点は別の次元の話として
基準は正否で行われるし、社会構造も一般的には肯定される。

日本は正しい行為で、犠牲が伴うならば、目を瞑る。
見て見ぬふりを行い、自分へのリスクヘッジをかける。

囲まれた社会で生き延びていく術なのだろう。

同時に時として正論を通してくる時がある。
開き直った様に正論を突きまくる。

なんと身勝手な社会だろう。

其の辺の矛盾に全く気付いていない人もいるし
単純に開く直っている人達もいる。

でもそれが日本であり、人間であろう。

その行為や慣習に批判を起こし反発しても
社会や時代といったものには対抗しきれない現実がある。

同時に何もしなくてもいいとはならない。
改善すべきところは改善すべき。

正論が通る社会に変えていったほうがすっきりする。

一気に変わらなくても、将来変革がおきればそれでいい。

目先の飯と将来の倫理。
現実と理論。

その相反する両方を抱えての人の道。
非常に困難ではあるが、一人一人が
価値相対性を意識して生活を営めば
必ずその先に次のステップが見えてくる。


先ずは実行する事である。
実行、経験無しに、策は見えてこない。

時代時代で趣味趣向も変わり、世の中で必要
もしくは、注目される点は変化する。

人の心も変化する。

全ては経験値から影響される部分が多いと思う。

それだけ経験はものを言う。

正義のチクリも、悪の慣習も、それぞれの立場に立って
初めて見えてくる事がある。

大事な事は、他人事して無視をしない事だ。

考える事を好まない時代にはなってきているが
人間として生まれたいじょう、思考はつきまとう。

悩み苦しみ行動を取り、その先に違った価値が見えてくる。