経験 それは、、、、。

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経験は色々な意味で大きいものだ。

ゴルフが大嫌いだったのに、今じゃ大好き。
あれだけ怖がっていたのに今じゃ、スリルが無ければ居られない。
一人が好きだったのに、今じゃ仲間がいなけりゃ寂しし過ぎる。

様々な人生のなかで、経験する前と経験した後で大きく価値観が
変わったものって有ると思う。

食わず嫌い?!

今、色々な過去の慣習に於いて、問題点が叫ばれている。

教育委員会の口利きの問題。
談合の問題。
食品業界の誤魔化しの問題。
大手企業の独占問題。

殆どの場合、過去からの流れの中に存続を見てきた。

今、その慣習の中にどっぷりと染まっている人たちも
昔は古い慣習に反発をして、反体制を叫んでいたかも知れない。

それでもいつの間にか、自分が叫ばれる側に立っていた。

恐らく年齢や経験などにより、若いときには見えていなかった
現実が見えてきたり、責任の度合いが増えることにより
やらざるおえなくて、手を染めてきた、、、。

多くのケースが、仕方がなく現実の中で折り合いを見越しながら
選んできた、生きてきた結果として今が存在しているはず。

ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったものだが、、、。

現実主義者はこれに陥り易い。
現状否定型はなりにくいが評論家タイプ。

どちらか一方では不足だろう。

現実も踏まえ、現状に不満を持ち続け
前向きに改善を果たしていくしか方法は無いと思う。

故に物事は一気に大きくは、変わりにくい。
人間の意識が追いつけない。

何千年も前の書物の内容に関心している今
どれだけ人間が変わったと言えるだろうか??

人間の意識や価値観は変わったようで然程変わっちゃいない。

経験がものを言う。

経験を通して人間は理解度を深めていく。

世の中正論で成り立っていない証拠である。

法や決まり、様々な形のルールがある。
様々な価値観がある。

それらは過去の経験から導きだされた結果であって
最近降って湧いたような事柄ではない。

自分にとって利益にならない立場や価値観
自分の好みに合わない人間や価値観、、。

それらを好きか嫌いかの判断は個人の価値。
しかし、個人の価値がそのまま全てに通用するとはならない。

個人的には嫌いでも、相手側の思考を理解できるかどうか、、。
個人的には無駄と判断していても、それが存在する現実をどう分析するのか?
一般的に悪だと判断が下されていても、それが消滅しないのは何故か?

古のローマ帝国皇帝が、市民に捕らえられ殺される時に
「全宇宙が崩壊しない限り、善悪は決められない」
と言い放った真理。

善悪の判断する実を食べたアダムとイブが、その罪で
楽園を終われ、人間は今でも、エデンに入ることは許されない。

善悪の絶対理論を経験は相対性理論へと導く。

なぜなら、人間は絶対性の存在ではないからだ。