うかれる

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何年かぶりに知人に会うと嬉しいものだ。

気分も何となく浮かれる。

束の間のひと時をたわいもない会話で楽しむ。

最近感じる事がある。

レストランでよく見かける家族での風景。

夫婦間の会話が少ない。
子供と母。
子供と父。

何故か母と父の間に会話が少ない。

父は雑誌を読みながら、、
父は新聞に目を通しながら、、、
母は子供の行動に気を配り、、
母は日ごろの愚痴が出る。

気のない返事が父の口からこぼれる。

いつもの如くと、母も動じず独り言のように
言葉が止め処もなくこぼれている。

同意を求めるかのように子供達に
その言葉がふられていく、、。

外国人の家族では見られない光景だ。

別に会話がないからとて、悪いとは思わないが
外食に家族で出てきて会話が無ければ
普段も容易に想像がつく。

日本人は言わなくても解る。

これが全てのベースにある。

言わなくても解らなければならぬのだ。

なんせ1を聞いて10を知らなければいけない。

普通は1を聞いたら1を知る。

なんて優れた民族なのか、、、。

会話を必要としないコミュニケーションは
外国人には理解不可能。

だけど言葉は話す為のものでもある。

話さなければ伝わらない想いもある。

最後まで寄り添う二人なら
語り合っても損はない、、、。

幾つになっても会話が弾んでいる男女は
傍から見ててもいいものだ。

日本のサラリーマンは、、、
何故か家庭においての会話が乏しい、、、。

疲労

そうとも言えないと感じるが、、。

普段の意識と思えるが、、、。

話題の違いもあるとは思うが、、、
他国の夫婦も仕事の話をしている訳ではない。

映画や今日の出来事や子供のこと
世間のこと、近所のこと、旅行や休暇、、
食べ物の話、食器の話、、昔の話、、

きっとそれらは煩わしいのだろう、、、。
話したからってどうなるものでもない、、、。

日本男児は結果を求めすぎ?
何かが有るから会話をする。
何かが無ければ会話はしない。

会話とはそういうものだけではないはずだが、、。

何の為にと求めるのが好きな民族ではある。

何為に、生きる、働く、結婚する、、。
何の為に、、、、。

生きる事に「何の為」は無いような気がするが、、。
それが無ければ生きていけない身体なのだろう。

子供ですらそうだ。
何の為に学校へ行くの?
何の為に勉強するの、、??

ちっちゃな時から「何の為に」で生きてきて
そりゃ、、大人に成っても変わらない、、。

つまりは、理由が無いから会話が無いのだろう、、。

悲しい面が見え隠れする、、、、。

ねぇ何の為に会話をするの?!