存続

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最近環境問題が取りざたされているが、非常に複雑な問題である。

地球の存続、会社の存続、家庭の存続、様々な存続の問題がある。

過去の話をすれば、時代が違う、レベルが違う、、理解できないとはじかれる。

それでも、過去の話は伝えなければいけない。

現状の人間が理解できるできないに関わらず、伝える事に意味がある。

今日、降って沸いたもの等ありえない。
良くも悪くも、過去の流れがあって今がある。
ある意味においては、今は既に過去になっている程だ。

その流れを知らずして、その先は見えてこない。

存続とは過去のもの真似でも、コピーでもない。

時代や環境に合わせて変えるべき所は変え、守るべき
処は守り、臨機応変の対応の結果が存続に繋がる。

それを過去は過去、今は今などと勘違いした切り離しを
当たり前だと思い始めたら、存続は崩壊へ向い始める。

今の世代に過去は見えないだろう。
今の世代に過去の感覚も感じ得ないだろう。

それでも解ろうとする努力や理解度が必要である。

その理解力こそ知恵に直結していく。

知恵がなければ知識は意味をなさない。

人間社会の中で、仕事だろうが個人的問題だろうが
人間の係わり合いに、何らかわりはない。

数字を生み出すののも、利益を生み出すのも人間である。

計画を立て実行し、検証し積み重ねを作り出すのは人間である。

システムの責任性を見直すのは賛成だが
責任の所在はあくまで、人間にあることを忘れてはいけない。

人間の経験の積重ねは、データーの単純な積み重ねとは意味が違う。

人間には感情がある。
人間には矛盾がある。
人間には傲慢さも謙虚さもある。

これらの流れを理解しようとせずに、会社の存続や
家族の存続や、地球の存続はありえない。

存続とは、全てを受け入れ理解しようとする姿勢から始まる。
理解力を見直そう、知恵をつけよう、、。

教えてくれない、教え方が悪い、政治家が悪い
国が悪い、上司が、教師が、親が悪い、、、。
そういう前に、己の理解力や本質を見聞きできる知恵を
省みて、己のすべき所から一歩を踏み出そう。

国が何をしてくれるか、会社が何をしてくれるか、ではなく
自分が国に、会社に何が出来るかを考えるべきである。

それが人間社会の営みである。