ピンピンコロリ

 
ある方が書いていた、、ピンピンコロリがいいかなぁと、、、
 
うちのおふくろなんかも口にする、、、トンと亡くなりたいねぇ
 
結構日本の老人は、この様な主旨の事を口にする。
 
 
最近の日本では、お風呂でそのまま逝ってしまう老人が多いとのこと。
 
その記事を読んで、、、感じたのは、、、
無意識?意識的?
 
もしかしたら、、、遠のく意識の中、、、
「これでいいい、、これでいいんだ」と思ってお風呂の中で逝っちゃyた
老人は、思っている以上に多いのではないか?
 
 
痴呆症患者の取り扱いがかなり前から問題になっているが
何ら進展も改善もされている様には見えない。
 
施設は「預かり拒否」
家族は「追い込まれる」
 
仕方がないさ、、、と言う現実に日々どんどん流されて行っている。
 
そう生きて行く為には仕方が無いさ、、、
 
「お前だって一皮むけば、、、!」
 
人間が生きて行くうえで、立ちふさがる現実であろう。
 
現代は昔の様な貧困と言う環境は日本には無いのだろうが、、、
追い込まれる心理環境は、現代でも存在する。
 
弱者は追い込まれるだけ、、、、
そして社会は、、、「それは個人責任だから」と処理をする。
 
機会が有れば「楢山節考」を観て貰いたい
 
人間の否定でも無ければ、日本を卑下するつもりは無い
 
事実である。
 
生きると言う事実であろう。
 
 
今後も老人や弱者、、生産性の無い者達は切り捨てられていく。
 
切り捨てられていく。
 
 
現代版、楢山節考は既に、、ジワジワと日本の社会で発生している。
 
そして老人達は、悲観するよりも笑って死んでいく事を渇望する
嫌われずに、迷惑を掛けずに、、スッと、、、、
 
ピンピンコロリ、、、、
「映画中では様々に楢山節や即興の歌が歌われるが、こんなにも貧しさに苦しむ人たちがなぜ能天気に歌を歌うのだろうか」
と当時多くの方々が感想を持ったものだ、、、
 
そして多くの方々は、、
「それは死を怖がるよりも生きる事に集中し、前向きに過ごす事しかできない現実を良く理解しているから、自然に楽観的に過ごす時間を増やして行くのだろう」
と述べていた、、、、。
 
どの国でも、どの宗教でも、人間が生き延びて行く中
眼をそむけたい現実は存在する。
しかし、日本の切り捨て文化ほど、厳しい環境は無いのではないかと思える。
 
例え現実は一緒でも、、せめてもう少し、優しい環境づくりを意識しても
良い様な気もするが、、、
 
そう言う私の母も、、、その境地、、、
そう思わせている自分をどうするのか、、、、
「一皮むけば、、お間だって一緒さ」と言いながら
親を捨て、犬を犯し、食い物を盗み、娘を売り、、、、生き延びている
環境化の人間に自分の顔が映っている。