ず~~とず~と、、、

 
お題は「'She's Always A Woman'」
 
変えようがない事実であろう。
 
人間がなぜ男と女と言う性別で存在するのか?
 
生命体がなぜオスとメスが存在するのか?
 
それは変えようがない真実だろう。
 
 
 
同時に「智」を持った人間は様々な価値の創造を果たした
 
お金の価値まで創造した
 
ある事ない事、、、様々な角度から物事を分析し
様々な価値観を創造してきた
 
従来、人間はなぜ生まれるのか?
なぜ、生きるのか?
どう生きるのか?
どう死ぬべきか?
幸福とは、、、
 
等と様々な目的論が語られてきた。
 
同時に男とは、、女とは、、、、
大人とは、、、子供とは、、、、
様々な存在意義を語ってきた人類
 
それらの全ては、、、、、
社会を維持構成するのに必要な事だった。
 
人間社会を維持継続するには、モチベーションが必要
大きな流れのベクトルが必要
 
その為に、言葉や表現を変え、、、
どう生きるか、、、どうあるべきか、、、語られてきた。
 
 
人間社会を維持継続する為には、それらの事は重要になる為
そこを目的とするならば、、、それらの価値の創造、モチベーションの創造は
これからも整理整頓されて行くべきだろう
 
 
逆に、、、人間社会を意図的に、維持継続する理由はどこにある?
となれば、、、、大きく話は変わってくる
 
破滅だろうが、偏向だろうが、、、
思うように勝手にそれぞれが生まれ死んでいけばいい
そうなれば従来の価値観は総崩れ、、、
 
それこそが自然である
 
従来、アジア系、、特に日本人は「自然」ではなく
「調和」を求めてきた。
 
日本の自然は素晴らしい、日本の自然は美しいと評されるが
日本の自然美と言うものは「人工と自然の調和美」である
 
「自然」と言うものは、、ジャングルである
統制も整備も何もされていないジャングル状態が本来の自然である
 
しかし日本の田舎の風営、、山の風景、、全ては
人間が長年開拓し整備し、人と自然が調和しあいながら
創り上げてきた「調和美」である
 
その点が長けている日本社会、日本人意識は時として
世界から称賛される時が有る
同時にそれは、自然ではない、、と言う再認識が起きている
 
人間社会が自然の流れだけに運命を任せ
それぞれが好き勝手に生きまくればどうなるのか
 
当然一時的には非常に乱れた世界へ落ち込む
そして破滅と言うような危機的状況が間近になれば
それこそ自然と改善保護、継続維持、、、と状況は流れる
 
それが歴史上起きてきたが、人類はそれに涙した
「もうやめようよ馬鹿な事は」
「馬鹿じゃないんだから、、少しは考えようよ」
 
種の保存と言う生命体の本能が働き、、
「社会の維持継続」が重視されて今が有る
 
そう、、ベースは、、生命体の本能である
 
本能の働きで社会維持を構築しているのに
理性で構築しているかの様に錯覚している側面が垣間見れる
 
「智」によって発展?維持継続してきた人類は
「智」によって混迷に落ち込み始めている
 
人間ものを持てば、それに縛られる
「智」を得た事で「智」の呪縛が始まった
 
仏教が教えを明文化しない最大の理由である
 
そこには「調和」の本能が見える
 
恐怖によって調和を取り戻すのか
何によって調和を取り戻すのか
 
それは誰にも解らないが、、、、
 
オスとメスと言う生命体が有る以上、、、
オスとメスの役割は消滅しない
それは人智を超えた世界の自然である
 
忘れてはいけない、、、
人間は動物である
 
様々な幸福、生きる権利は有ろう、、、、、
 
所詮、、それらは、、己の世界の中だけの問題だ
小さな頭脳の中から飛び出せない世界である
 
いつまでも同じ部屋から出る事もなく
東の窓から空を評し、西の窓から風景を評し
自分の中では大きく目の前が変化し、違った世界へいる様な
錯覚を起こしているが、、、、所詮小さな部屋の中
 
空の青さは見えるけど、、、空の大きさは語れない
 
人智を超えた世界観を意識すれば、、、
人間が動物である点は重要になってくる
 
オスはオスであり、メスは死ぬまでメスなのであり
そこには自分の意志などどうでもいい世界がある
 
彼女はいつも、、いつまでも「女性」なのである