国家とは、、

終戦記念日と言う言葉はあまり好きではないが
まぁ8月15日と言う事もあり、TVなどで戦争に
関する番組が多く、色々見てみると、、、、。
 
国家と言うものは一体何なのか?
と改めて考えさせられた。
国家の起源には諸説あり、定説はないと言っていいらしい。
国家という用語は古来特定の政治集団を表す用語として使用されてきたものであり
その語源は複雑であるとのことだ。
 
1933年に締結された国の権利及び義務に関する条約
国の権利及び義務に関する条約
 第一条 国の要件
  国は国際法上の人格を持つ為に、次の資格がなければならない。(イ)永久
  的住民、(ロ)明確な領域、(ハ)政府、及び(ニ)他国との関係を取り結
  ぶ能力

国家が人格を有すると言うのも何とも不思議だ
 
結局国家とは、誰かが自分達の都合いい集団を
組織し、その領土を定めたあたりから発生し、、、
その後、訳も解らず領土などの確保、保護を目的
とし、現在まで至っているのだろう、、、。
 
大きな組織である事には変わりはない。
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組織を維持するために、、、
組織に於いて、個人はどこまで
自由を有する事が可能か?
 
当然国家のさだめる所の法律や
決まりごとの範囲でしか、自由は無い。
そうなれば中国や、カンボジア、北鮮など
世界的に各国が「やり過ぎなんじゃないの?」
勝手に攻め立てているが、、、
国を維持するためには、彼らの言動は
至極当然の事となる。
 
それを他国が良いだ悪いだと揶揄するのは
国家主権に係わる内政干渉だろう。
 
それをもし、グローバルスタンダード?とやらで
価値観を統一しなければいけないのならば
現在の国家形態を中止し、世界国として一つの
国へ変換すれば良い。
結局それだって各国、勝手な言い分が始まり
世界国はできない。
 
ならば、一部の国々が行っている主義主張を
否定するのは矛盾している。
特にアメリカは何時でもそうだ。
共産主義は悪だなどと情報操作まで行う始末。
資本主義だって格差を拡大させ、結果世界経済に
多大な問題を生じさせた罪はある。
 
人間の資質が統一されない限り
どのアイデアを取り入れても、光と影は存在する。
故に主義主張の問題ではなく、人間の資質が問題なのだ。
 
人間の資質は管理不可能
と言うベースに立ち、お金(経済)を
中心にある程度放し飼いすれば取り敢えずは
人間社会均衡を保つ、多少の問題は仕方がない
これが資本主義のベースであろう。
 
それに対し、人間は管理しなければ
収拾がつかないと言うのが共産、社会主義だろう
ある程度の管理下に人間と言う者を落としこまないと
社会は乱れ、混乱をきたす。
当然一理あるだろう。
 
それを政治的手段を用いずに
集団を管理しようとしたのが、、
宗教である。
 
宗教と言う道徳的な観念を利用し
同じ価値観の人間を増やし、人間社会の
均衡を保とうとしたものである。
途中から政治的な趣向が強くなったが
まぁ基本はそう言う事だ。
アメリカがイスラムを目の敵にする理由はここにある。
政治的には資本主義の戦略を成功させ?、次は宗教的に
クリスティアニティーを増やせば、世界統一も夢じゃない。
 
日本だ、アメリカだ、アラブだ何だと言っているが
ヒンドゥー国家、イスラム国家、キリスト国家、仏教国家
と言う風にも言える。だいたい何でイスラムとキリストが殺しあわねば
いけないのかねぇ?元は一緒だろうにねぇ。
結局世界平和、愛、と言うもんを教え伝える宗教が
今でも結果、矛盾して宗教戦争を終えられない理由は
自分達の価値観に押し込めようとする人間の性である。
 
宗教そのものは何だって良い、、、
人間結局何ができるのかと言えば
信じる事しかできない動物なのである。
これは真理であり、未来永劫変わらない。
 
組織を維持するには、、、
個人を滅私、国家に奉公するしかない
これも真理であり、未来永劫変わらない。
 
問題は、、どこまでが許せて、どこからは
やってはいけない境目なのか??
と言う点である。
 
そうなれば、十人十色、、、百人百色、、
 
過去に大本営が行った事を現在
如何にも偉そうに否定する者たちがいるが
それ自体が愚行である。
大本営のメンバーはエリートである。
彼らの言動は、あの時代、あの環境下の中で
まともな方だったと考えるべきである。
「国家無くして個人は存在し得ない」
全くその通り!この心理は未来永劫変わらない。
 
問題は人間と言う動物が、いかなる環境下で
どのように思考回路を張り巡らし、生きていくのか?
 
それが問題だ。故に戦争はいけないのである!
いい加減、自分に不利な事柄を否定したり
自分とは違う価値観を否定したり
一方方向の情報処理を行うのは止めるべきであり
過去の人間達の軌跡を悪と片づける様な、単純な勧善懲悪
の世界から脱皮セよ!!!!
一方的なモノの見方をするから、追い込まれた人間の性を
受け止める事もせずに、誰かのせいにして自己否定を行わない。
大本営で、日本国民に犠牲を強いた人間達は、普通の人間であり
至極当然の言動を取った、立派な組織人である面は否定できない。
そのうえで、では何故、国家維持が個人を犠牲にしてまで必要なのか?
個人とは組織の中では歯車でしかないのか?国家とは組織とは?何かを
しっかり考えるべきである。
答えは自ずと見えてくる。組織の中では、国家の中では個人は
歯車の一つでしかあり得ない。真理である。
先ずそれを受け止め、では歯車だけの人生はどうなのか?
それが嫌ならば、何故組織があるのか?組織の在り方は一つなのか?
何故国家と言うものが存在するのか?国家の必要性とは?国家の在り方は?
よくよく考えるべきである。
 
さてさて、、、国家とは???
 
つまりは、貴方が日本国の人間と思えば
それも良し、、貴方がキリスト国の国民と
考えればそれでよし、いやいや自分は
~~国家の一員と思えばそれでよし。
 
好きな国家に生きれば良いだろう。
 
国家とは、、、天下であり
それは個々それぞれの手中に在り!
諸葛孔明、貴殿はやはり、賢い!