世界へ!

日本企業が初めて海外に支店支社を開設したのは何時なのだろう?今では海外進出は珍しくも無くなり、多くの人間が海外で暮らしている。しかしその陰に日本の母の存在がある事を忘れてはいけないと思う。働き盛りの世代の母親達は、息子娘に頼れず、高齢の一人暮らしを余儀なくされる。
 
3~40年も前なら、高齢になった親たちは、自分の子供たちと一緒に余生を過ごせた機会はたくさんあっただろう。腰が痛い膝が痛いとなれば、傍に誰かが居てくれたのだろう。
 
 
現代は一人暮らしの日本の母が増えている事だろう。
 
 
勿論医学や健康の背景が違って、動ける高齢者になってきた面も事実だろう。しかし精神面ではやはり寂しさは隠せないだろう。
 
 
多くの企業戦士たちが日本の、会社の生き残りを掛けて世界へ羽ばたく。それは今後も一層激化して、どんどんその動きは広まっていくだろう。我が息子娘を世界へと送り出し、自分達は静かに一人暮らしを我慢する日本の親達よ、貴方方が日本の国際化の陰の主役と呼べるだろう。
 
企業活動や、経済活動の話題の中に、この事実は殆ど出てこない。
 
国際化、世界へ羽ばたく、その陰に日本の高齢者たちの支えがある事を忘れてはいけない。
 
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又、国際化が進めば日本人同士の意識格差が一層広がる。昔から、一度海外へ出た日本人は、日本人ではないと言われるように、海外で暮らした日本人が日本へ戻ると、価値観の相違から煙たがられる傾向がある。外国かぶれ、気取っている、日本を忘れた浦島太郎、様々な表現で煙たがられる存在である。
 
日本を変えまいとする意識と、日本を変えようとする意識。僻み根性も一層拍車を掛ける。日本国内だけで生まれ生きてきた者たちと、海外で様々な経験をしてきた者では、多くの違いがある。
 
遠慮は美徳=遠慮は罪悪
根回し重要=自由活動
団体主義=個人主義
日本の常識、世界の非常識と言われるくらい、昔から価値観は大きく掛け離れている。
 
 
 
この格差がある故に、これだけ日本の国際化が遅れた。
 
 
日本は、日本人は本当に国際化を望んでいるのか非常に疑問に思う。それに国際化をすることだけが対策ではないだろう。このブログでも幾度か書いたが、鎖国と言う策もある。
 
 
囲まれた小さな世界で、のんびりと自分達だけの価値観で生きている純粋で無垢でまじめで勤勉な種族は、本当に国際化を望んでいるのか???????????????
 
 
一方では和洋折衷と言われる能力も兼ね備えている。巧く他者を受け入れてそれなりに改善を行い、中間点を見出して行く。これは人間として普通の高度であると思う。どこの国の人達も、妥協点を探しながら折衷案を生み出す言動はある。日本はそれが非常に細かい、拘る、軽く受け流せない。ここが違いとなって現れてくる。
 
 
我慢を美徳とする社会では、個人の自由意思は煙たがられる。終いには我儘と個人主義が混同されて行く。変革を促そうとすれば、日本の常識、日本のやり方を持って抑えられる。この現象は今後も続く。
 
世界へ出た日本人が人生の最終時には、日本での暮らしを願う。どこの国の人達もそうであろうが、日本人のそれは、少し違う。言葉では上手く表現できないが、違うのである。日本と言う国がそれだけ暮らしやすい国なのか、日本人の血がそうさせるのか定かではないが、多くの外国人の行動とは違う点がある。
 
 
一度世界へ出て、日本と言う国が狭く感じて、暮らしにくくなり飛び出した日本人の中で、どれだけの日本人が世界の地で、一生を終えただろうか?若い時は良いが、歳をとったら日本へ戻るのだろう。日本人の帰国意識は非常に高いと思える。
 
国際化、、、世界へ、、、、
一方で今の若者は、出たくない症候群の様で、海外なんて世界なんて興味ないし!って感じなようだ。賛否両論色々あるが、この現象も日本人と言う血がそうさせているのではないだろうか?